_ ねば塾のグループホームで暮らす彼らは、おおむね楽しそうだ。
_ 休みの日はいつも数グループに分かれ、それぞれ好きなところへ出かけてゆく。車を持っているグループ、バイク、自転車、徒歩で出かけるもの、休日支援員もいてそれぞれ好きなように仲良く過ごす。
_ 仲は良いが、小さなトラブルはいつも起きる。
_ 彼らの正義は自分が中心のようで、自分が好きなものは相手も好き、自分の嫌いなものは相手も嫌いなはずだ。と思い込んでいるようだ。
_ そして自分の思うようにならないのは、周りの人がそうしないからその人が悪い。とこうなる。
_ いくら相手の気持ちになって、と言い聞かせても自分が納得しないと「でも~しかし、」とこうなる。
_ 「自分がそうされたら嫌でしょう?」と聞くと、「嫌だ!」ときっぱり答えるが、やはりその後で「だけど・・・」となる。
_ いつも、誰かしら私や職員のところに訴えにやってくる。
知的障がいを持つ彼らに納得してもらうのはなかなか大変なのです。
_ ねば塾の仕事のやり方は職員に細かな作業指示は行ず、それぞれが何をするのか判断するようにしている。
_ ところが先日、ねば塾の知的障がいもない職員が、「あの人があの仕事を私にするように。と言ってきたのはおかしい!」「あの仕事はあの人の仕事だ。」と訴えに来た。
_ え、?と思って話をよく聞いてみると、その仕事はどちらが行ってもよいもので、どちらの言い分も正しくもあり、正しくもない。
とうとうと話をしたが、やはり「でも・・・」と納得できないのだ。
_ う~ん。いつも自分中心の訴えを職員も聞くうち伝染してしまったか?とわが耳を疑ってしまった。
_ そんなはずはない。これは、ひとえに感情的な問題であろう。
_ その仕事の意味を考えれば進んで「私がやります。」となるはずだ。
_ さてさて、こんなことでは ねば塾の行く末が案じられるぞ。
_ もしや、自分も感染してはいまいかと不安になり鏡に自分を映して考えた。
_ もう一度初心に戻って皆に「仕事」とは「幸せ」とは何か考えてほしい。
_ 幸せを感じることが出来る人は「人に幸せを感じてもらう事が出来る人」であり、自分が今幸せだと思える人です。今幸福と思うか不幸と思うかは考え方次第です。
_ 仕事にやりがいや喜びを感じられるのは「お客様に感謝される仕事をした時」であることを。
_ もう一度、みんなで考えよう。